総持寺 (茨木市)


総持寺
本堂
所在地 大阪府茨木市総持寺1丁目6番1号
位置 北緯34度49分44.77秒
東経135度34分53.65秒
山号 補陀洛山
宗派 高野山真言宗
本尊 千手観音
創建年 元慶3年(879年)頃
開基 藤原山蔭
正式名 補陀洛山 総持寺
札所等 西国三十三所第22番
摂津国八十八箇所第47番
摂津国三十三箇所第27番
ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第6番
神仏霊場巡拝の道第63番
文化財 本堂・薬師金堂・仁王門など(市指定文化財)
法人番号 3120905000071
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総持寺(そうじじ)は、大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院。山号は補陀洛山 (ふだらくさん)。本尊千手観音西国三十三所第22番札所。開基である藤原山蔭四条流庖丁道という新たな庖丁式(料理作法)を定めたことから料理人の信仰を受けている。

本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか

ご詠歌:おしなべて老いも若きも総持寺の 佛の誓い頼まぬはなし

目次

歴史


当寺の草創説話は、助けたの恩返しと観音の霊験に関するもので、寺所蔵の縁起絵巻のほか、『今昔物語集』などにもみえる。

それによると、開基である藤原山蔭の父・藤原高房が、漁師たちが大亀を捕らえているのを見て「今日18日は観音様の縁日だから」と、亀を買い取って川へ逃がしてやった。

その日の夜、山蔭が継母の計略で船から川に落とされてしまった。高房はこれを悲しみ、観音に祈ったところ、高房が助けた亀が山蔭を甲羅に乗せて現れたという。

高房の没後、山蔭が報恩のため観音像を造立し祀ったのが当寺の起源だという。

寺伝では元慶3年(879年)頃、藤原山蔭が創建し、山蔭の三回忌の寛平2年(890年)に伽藍が完成したとする。

寺は天正年間(1573年 - 1593年)に織田信長の兵火にかかって衰亡したが、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼によって本堂が再建され、境内の復興が行われた。

本尊


当寺の秘仏本尊の木造千手観音立像は像高75.4 cm[1]、寺伝に基づき、亀の背に乗っている。脇侍として善女竜王像と雨宝童子像を配する。

境内


文化財


茨木市指定有形文化財

行事


御詠歌


もともと「おしなべて 高き賤しき 総持寺の 仏の誓ひ 頼まぬはなし」だったが、近年の人権意識の高まりにより「おしなべて 老いも若きも 総持寺の 仏の誓ひ 頼まぬはなし」に変更されている。

前後の札所


西国三十三所
21 穴太寺 - 22 總持寺 - 23 勝尾寺
摂津国八十八箇所
46 蓮花寺 - 47 總持寺 - 48 地蔵院
摂津国三十三箇所
26 廣智寺 - 27 總持寺 - 28 圓照寺
ぼけ封じ近畿十楽観音霊場
5 玉桂寺 - 6 總持寺 - 7 太融寺
神仏霊場巡拝の道
62 水無瀬神宮 - 63 總持寺 - 64 神峯山寺

拝観情報


所在地


〒567-0801 大阪府茨木市総持寺1丁目6番1号

交通アクセス


脚注


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  1. ^ 像高は『西国三十三所結縁御開帳公式ガイドブック』(講談社、2008)p.91による。

関連項目


外部リンク











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データム: 15.03.2021 02:20:07 CET

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