橘学苑中学校・高等学校
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この項目では、横浜市鶴見区の私立中学・高等学校について説明しています。
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橘学苑中学校・高等学校 |
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過去の名称 |
橘女学校 橘高等女学校 橘女子高等学校 |
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国公私立の別 |
私立学校 |
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設置者 |
学校法人橘学苑 |
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校訓 |
正しく強く
個人は質素に、社会は豊かに |
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設立年月日 |
1942年 |
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創立者 |
土光登美 |
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共学・別学 |
男女共学 |
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中高一貫教育 |
併設型 |
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課程 |
全日制課程 |
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単位制・学年制 |
学年制 |
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設置学科 |
普通科 |
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学科内専門コース |
文理コース(普通、特進) デザイン美術コース 国際コース |
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学期 |
3学期制 |
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高校コード |
14516F |
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所在地 |
〒230-0073 |
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外部リンク |
公式サイト  |
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橘学苑中学校・高等学校(たちはながくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県横浜市鶴見区獅子ヶ谷一丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。
目次
概要
1942年(昭和17年)に土光敏夫の母である土光登美によって橘女学校として創立された。創立の精神は土光家の信仰した日蓮宗の教えや、土光登美が愛読した宮沢賢治の精神をもとにしている。
2019年度現在、幼稚園・中学校・高等学校全日制普通科(国際コース・文理コース【特別進学クラス・総合進学クラス】・デザイン美術コース)がある。
沿革
出典[1]
- 1938年(昭和13年) - 獅子ヶ谷の丘にて設立の計画をたてる
- 1942年(昭和17年)
- 4月 - 橘女学校創立。校主に土光登美が就任
- 12月 - 初代木造校舎(現在の芝コート南部、音楽堂)施行
- 1943年 - 国が14歳以上を入学資格とする2年制高等女学校の設置を認可。
- 1945年
- 4月 - 戦争激化により、授業停止。財団法人橘学苑設立認可。理事長に土光登美就任。すぐに土光登美死去。土光敏夫が理事長に就任。
- 8月- 太平洋戦争終戦。9月に授業開始。
- 1946年(昭和21年)3月 - 橘高等女学校へ組織変更認可、第1期生卒業。高等女学校が5年制に改定。
- 1947年(昭和22年)4月 - アメリカ教育使節団による学制改革(6・3制の実施、新制中学校の発足)により、臨時で高等女学校併設中学校として橘中学校を併設し、1947年度女学校1・2年生を1948年度より橘中学校2・3年生として入学。
- 1948年(昭和23年)4月- 高等女学校制度廃止、6・3・3制の実施により、新制高等学校発足。橘女子高等学校となる。橘中学校と共に新制度後初の生徒入学。
- 1951年3月 - 財団法人より学校法人橘学苑へ組織変更
- 1957年 - 体育館施行(爆撃のあった広島県の軍事施設の骨組みを移築)
- 1960年3月 - 学苑歌完成
- 1961年11月 - 土光登美訓詞碑「正しき者は強くあれ」建立
- 1965年 - 校舎に繋がったコンクリート製増設校舎(現1号館)施行。土光敏夫が 東京芝浦電気の社長に就任。
- 1968年
- 4月 - 高等学校に定時制課程を併設。
- 11月 - 鉄筋三階建の新館(土光登美記念館)が完成、旧校舎を本館とする。
- 1969年 - 生活学習「合宿」を開始
- 1973年 - 創立30周年記念第1回アートクラフト展(現学苑展)開催、第1回音楽祭ミュージックフェスティバル開催
- 1974年4月 - 学校法人橘学苑附属幼稚園併設。土光敏夫が日本経済団体連合会の会長に就任。
- 1976年4月 - 中等部カリキュラムに「創造の時間」を設置
- 1977年 - 学苑入学試験制度改革(作文・面接制度を導入)、第1回球技大会開催
- 1978年 - 学苑国語科の改編、修学旅行改編「学習旅行」へ
- 1981年 - 土光敏夫が 第二次臨時行政調査会会長に就任。
- 1986年4月 - 高等部に「総合の時間」開設
- 1987年11月 - 創立45周年記念事業として、創作館と音楽堂施行[1]
- 1988年8月 - 土光敏夫死去
- 1990年(平成2年) - 大学入試センター試験開始
- 1992年 - 創立50周年式典開催
- 2002年 - 完全週休二日制、ゆとり教育開始
- 2003年
- 4月 - 合宿所「アグリネイチャーいいじま」竣工
- 9月 - 新体育館「SAKURA DOME」竣工
- 2004年(平成16年)
- 3月 - 2号館竣工、本館を1号館と改称
- 4月 - 校名を橘学苑中学校・高等学校に改称。中学校を男女共学化、高等学校にコース制を導入して文理コース以外を男女共学化。
- 校長室、生徒会本部室を2号館へ移動
- 2005年4月 - 国際コース第一期生ニュージーランド留学開始
- 2006年4月 - 文理コースを男女共学化し、全面男女共学化
- 2008年4月- 植物の種類名称であったクラス名を学年数+アルファベット順のクラス名に変更した
- 2012年 - 体育館改築工事開始
- 2013年 - 学習指導要領改定、文部科学省は「ゆとりでも詰め込みでもない生きる力を育む教育」(脱ゆとり教育)と発表
- 2014年 - 体育館改築工事完了、土光敏夫記念体育館と改称、新館を土光登美記念館と改称
- 2014年 - 1号館改築工事開始
- 2017年 - 改築工事本格化、1号館完全立入禁止、芝コートの初代校舎の位置に代理でプレハブ製の1号館仮校舎施行
- 2018年 - 1号館改築完了、共に仮校舎解体、跡地にグリーンコート(野外テニスコート)がもう一面できる。
- 2019年4月 - 授業体制変更、土曜日通常授業とし、45分授業から50分授業へ
創立の精神
「正しく強く」、「個人は質素に、社会は豊かに」
- 一、心すなおに真実を求めよう
- 一、生命の貴さ自覚し、明日の社会を築くよろこびを人々とともにしよう
- 一、正しく強く生きよう(正しきものは強くあれ)
教育の特色
- 創造として中等部に3単位ある。
- 総合として高等部に3単位ある。
- 国際教育としては、海外研修にちからをいれており、ニュージーランド海外研修(国際コース10ヶ月)、フランス海外研修(デザイン美術コース1週間)、オーストラリア短期海外研修(中等部1週間)、シンガポール・マレーシア短期海外研修(文理コース1週間)、カナダ夏期短期海外研修(希望者2週間)などがある。
中学校
3学年全クラスが1号館にまとまっている。
1学年1~2クラス、中高一貫での教育をしている。内部進学に力をいれた教育システムをとっており、外国語の教育が充実している。英語発表会と称し、英語での映画撮影や劇、歌などの発表をする。また、創造教育では農作業に力を入れており、一年生では飯島分校(アグリネーチャーいいじま)でのお米合宿が数回あり、橘花祭(学園祭)での発表もある。創造発表会も開催され、米の学習、個人研究などを発表する。
高等学校
全日制普通科、コース制、文理コースはクラスで大きく2つに別れる。
- 国際コース 1年2号館、2,3年1号館、1学年1クラス、中学部からの入学が多い。国際基督教大学、上智大学、青山学院大学等国内大学進学及び海外大学進学。(1年次1月~2年次12月迄ニュージーランドにホームステイ留学)
- デザイン美術コース 1号館、1学年1クラス。美術系国公立大学・美術系私立大学への進学を目指す。芸術海外研修がある。
- 文理コース(特別進学クラス) 2号館、1学年1クラス。難関大学進学を目指す。
- 文理コース(総合進学クラス) 2号館、1学年多クラス。2年から文系と理系に分かれて、3年から選択科目で更に細分化する。広く就職及び大学進学を目指す。
デザイン美術コース以外では、一年生の時に音楽があり、学苑歌と楽典による試験がある他、学内で音楽祭(合唱コンクール)を開催し、クラス毎に作詞、洗足学園の学生が作曲した曲と、歓喜の歌を発表する。
クラブ活動
硬式野球部:
2006年文理コース共学化に合わせて創部、2009年の神奈川県高等学校秋季県大会に於いては 準準決勝、2010年の神奈川県高等学校春季県大会では 準決勝まで実績を上げている。2014年の夏の大会ではベスト8の実績をあげている。2019年より元プロ野球選手水上善雄監督が就任。
硬式テニス部:
[中等部]2017年の第44回全国中学生テニス選手権大会において団体女子第4位、男子シングル出場、神奈川県中学テニス大会においてダブルス3位、2020年の第8回全国選抜中学校テニス大会(団体女子)出場と実績を出している。
[高等部]2018年の神奈川県高等学校新人テニス大会 男子団体の部において第4位に入賞した。
その他、サッカー部、バスケットボール部、バレーボール部、バドミントン部、卓球部、剣道部、陸上部、チアリーディング部、弓道部、ダンス部、アクロバティックダンス部。
合唱部:NHK全国学校音楽コンクール出場。
グラフィックデザイン部、吹奏楽部、軽音楽部、箏曲部、 華道部、茶道部、美術部、漫画部、競技かるた部(旧かるた同好会)、演劇部、写真部、理科同好会、ライトクリエイト部。
不祥事
非正規雇用の教員の雇い止めが相次ぎ、大量の退職者が出ており、教員の入れ替わりが激しいため、保護者から苦情もあると報道されている[2][3]。2020年5月25日、保護者らが在学契約に不履行があるとして横浜地方裁判所へ提訴を行った[4][5][6][7]。
今では1年間に10名ほど生徒に事情も知らなれずに退職してる先生がいる。
理由としては2019年の土曜日通常授業とし、45分授業から50分授業への変更で教職員の負担が増えるため非正規職員の正式採用と賃上げ要求を理事長に書面で提出したところ理事長が激高し書面で連名した非正規職員の雇止めと職員の処罰(破壊的言動)を行い、不服とした正職員の退職が相次いだ。
設備
- 本校(鶴見・獅子ヶ谷)
- 仮校舎、2017年(解体済)
- 2号館、2004年
- SAKURA DOME、2003年(生徒が使うことは滅多にない)
- ハードコートグラウンド、2003年(2017年拡張)
- 人工芝テニスコート2003年(解体済)
- 人工芝グラウンド、2003年
- 部室棟、2003年
- 創作館
、1987年
- 音楽堂
1987年(工事をしなかったため今は使えない)
- グラウンド(野球場、弓道場、鉄棒、砂場)
- 土光登美記念館、1968年
- 橘幼稚園、1965年
- 1号館、1965年
- 土光敏夫記念体育館、1957年
- 学苑農場、1942年
- 運動場、1942年(現SAKURA DOME)
- 本館(木造校舎)、1942年(解体済)
- 飯島分校(飯島町) [山荘 アグリネーチャーいいじま]
- やまなみ荘(食堂、お風呂、学生寮)、2003年
- はじめの一歩(洗濯場、学生寮)、2003年
- 研修棟、2003年
- バーベキュー場、2003年
- ビニールハウスの食堂、2003年
- 水道棟、2003年
- 農場、2003年
著名な出身者
交通
- 臨港バスのバス停 『橘学苑・橘テニスアカデミー前』すぐ
- 鶴見駅(JR 京浜東北線 / JR 鶴見線 / 京浜急行線)約15分バス停9番:鶴03綱島駅/10番:鶴04新川崎交通広場、鶴02新横浜駅/1番:鶴12馬場七丁目
- 綱島駅(東急東横線)約20分、綱島駅東口 みずほ銀行裏バス停:鶴03鶴見駅西口
- 新横浜(JR 横浜線 / 横浜市営地下鉄) 約20分、バス停7番:鶴02鶴見駅西口
- 新川崎駅交通広場 (新川崎駅、鹿島田駅から徒歩10分のバスターミナル)約30分、バス停1番:鶴04鶴見駅西口
- 尻手駅(JR 南武線)約15分、国道尻手 バス停:川50鶴見駅西口 三ツ池口下車(徒歩10分)
- 川崎駅 / 京急川崎駅(JR 各線 / 京浜急行線)約30分、 川崎駅西口 バス停51番: 川50鶴見駅西口行き 三ツ池口下車(徒歩10分)
脚注
関連項目
外部リンク