アレクサンドル・ニコライェヴィチ・アファナーシエフ(Александр Николаевич Афанасьев、1826年7月11日 - 1871年10月23日)はロシアの民俗学者。ロシア民話研究の第一人者で、「ロシアのグリム兄弟」とも称される。
600以上の民話・伝承を編纂しており、その数は世界で最も多い[1]。
ヴォロネジのギムナジウムからモスクワ大学法学部へ進学し[2][3]、コンスタンチン・カヴェーリンやティモフェイ・グラフノスキーから講義を受ける。彼は中世ロシア史の研究を行っていたが、セルゲイ・ウヴァーロフに反抗したため、大学での研究を続けられなくなった。
公文書館で働くが、活動家のアレクサンドル・ゲルツェンとの接触があったことから職を失う。貧しい暮らしの中で結核にかかり45歳でこの世を去る。
アファナーシエフは1850年頃からロシア民話への関心を強めた。ウラジーミル・ダーリやロシア地理学協会の資料などを基に編纂し、1855年から1863年にかけて『ロシア民話集』を刊行した。1865年から1869年にかけては、スラヴ人の自然観についてまとめた『スラヴ人の詩的自然観』を刊行した。『ロシア滑稽譚』は猥雑さや教会批判などから検閲を免れられないため、ジュネーヴで刊行された[4][5]。
アファナーシエフ以前はロシア民俗研究はあまり成されなかった。10世紀に教会スラヴ語で記録されるようになったが、教会の慣習にかかわるものが主であり、19世紀頃まで民俗的物語は文字に残されなかった。アファーナシェフの編纂は民俗研究にとって価値の高いものであり、ニコライ・リムスキー=コルサコフやイーゴリ・ストラヴィンスキーの芸術作品にも大きな影響を与えている[6]。
カテゴリ: 19世紀ロシアの著作家 | 19世紀の学者 | ロシアの民俗学者 | ロシアの民族誌学者 | 文献学者 | ロシア文学 | ヴォロネジ県出身の人物 | 19世紀に結核で死亡した人物 | 1826年生 | 1871年没